西国街道と亀岡街道が交わる中河原の近くを茨木川が流れています。この一帯で行われたのが白井河原合戦です。街道でないと軍などの物流が動きませんので、必然的に街道沿いで合戦が行われます。白井河原合戦が行われたのは元亀2年(1571年)で、織田信長が比叡山焼き討ちをした年です。
信長の周りが敵だらけで一番しんどかった時です。摂津では池田氏家臣だった荒木村重が三好三人衆方に寝返り、中川清秀を誘って当主である池田勝正を追放しました。義昭が将軍になる前に甲賀にかくまっていた和田惟政が摂津守護になっていましたが、この和田と荒木・中川連合が対立します。三好三人衆と結ぶ荒木村重・中川清秀らの軍が、義昭方の茨木重朝・和田惟政軍を破った戦いが白井河原合戦です。これで摂津三守護(池田勝正、伊丹親興、和田惟政)は勢力を失うことになります。