西国街道をゆく(弁慶の泉)

弁慶の泉

石橋から西国街道を歩いて中国自動車を通りすぎたところにあるのが弁慶の泉。義経は頼朝との対立から九州で体制を立て直すために京から落ちます。目指すのは大物(だいもつ)です。尼崎駅の手前に阪神の普通しか止まらない大物駅がありますが、昔は大物浦があり、ここが海上交通の要衝でした。

京から西国街道で西に向かい、ここらあたりで弁慶が泉で喉の渇きをいやしたと伝わっています。泉は時代とともに埋没していましたが、昭和53年に湧き水があるのが見つかり整備されました。義経一行は猪名川の渡しを渡ったところから南下して大物を目指したのでしょう。河尻に着いたあたりで多田行綱らの襲撃を受け、これを撃退しています。多田行綱は義経と一緒に一ノ谷戦いなどに参戦していますが、頼朝に所領を没収され行綱自身も追放になっていたので、頼朝に取り入ろうと襲撃したようです。

義経一行は大物から船団を組んで九州へ船出しましたが、途中暴風のために難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻されてしまいます。

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