西国街道をゆく(師直塚)

師直塚

西国街道を歩いているとイズミヤ昆陽店のすぐ前に師直塚を発見。「師直って、あの有名な高師直?」と行ってみたらピンポンでした。

高師直は足利尊氏の側近で、戦は強いし行政もできるという文武両道のスーパーマンです。革新派で趣味人でもありましたが、石田三成のように尊氏への不満が集中する立場なので保守派の足利直義(尊氏の弟)と対立し、観応の擾乱に発展します。

高師直と足利尊氏は打出浜(芦屋)の戦い(1351年)で足利直義に敗北したため投降。尊氏より遅れて護送されている途中、直義派の上杉能憲らによって殺されます。塚は別の場所にありましたが国道の拡張工事などにより、現在地に移されます。

この後、足利直義が権力を握りますが、結局は尊氏との戦いに発展し、敗れた直義は鎌倉に幽閉されます。鎌倉で病死しますが、高師直の一周忌にあたり毒殺説もあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です