采女城

采女城

四日市でお仕事でしたが時間があったので四日市あすなろう鉄道に乗って内部駅へ。ちょっと歩いて久しぶりに采女城へ登ってきました。標高は低く、きれいに登山道が整備されていてスーツでも登れます。おすすめはしませんが。

1260(文応元)年に後藤基秀が武功により三重郡采女郷の地頭職となり采女の地に移住し、城を築いたと伝わっています。また承久の乱で上皇側について敗れた後藤基清が築いた説もあります。後藤氏は南北朝から室町にかけては北畠氏に仕えたようです。

采女城は足見川と内部川の合流地点の北岸にある丘陵尾根にあります。南北に延びる尾根に一の郭,二の郭,三の郭を置き、西に四の郭,九の郭、南西に五の郭,六の郭,七の郭、南に八の郭が連郭式に配されています。永禄年間(1558~70年)、織田信長が伊勢侵攻がはじまり、滝川一益に攻められ、落城しました。

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