高向

高向玄理

仁王山城がある旭ヶ丘団地を下ると高向という高台の街があります。高向ってどっかで聞いたな。と高向からさらに降りて道の駅・奥河内くろまろの郷まで下ると高向玄理の碑がありました。

そうか高向玄理って、河内長野出身だったんだあ。それで道の駅の名前にまでなっているんだあ。高向玄理って昔、日本史で習いましたねえ。遣隋使・小野妹子に同行する留学生として推古天皇16年(608年)に南淵請安、旻らと共に海をわたり隋に留学しました。留学中に隋から唐に変わり、30年以上にわたる留学を終えて帰国します。国博士となり政府の最高顧問で律令国家としての体制を整えていきます。

外交でも活躍し大化2年(646年)には遣新羅使として新羅に赴き、任那問題に活躍します。白雉5年(654年)には遣唐使として唐に赴きましたが長安で病死しました。

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