下長遺跡

狐塚古墳

「伊勢遺跡と卑弥呼の共立」(吉川弘文館)を読むと伊勢遺跡周辺の遺跡が面白そうなので、まずは下長遺跡へ。といっても遺跡の多くは工業団地になっていて小さな3基の古墳が点在しているだけです。下長遺跡は伊勢遺跡から北西に1.5kmほど離れたところにあり、弥生時代から平安時代まで使われていたようです。

古墳時代前期には首長の居館が作られ祭場もあり、儀仗が見つかっていますから王がいたようです。遺跡の中央を琵琶湖まで続く川が流れていました。船も見つかっていて、川に沿って交易のための倉庫や交易場所があったようです。琵琶湖は古代の高速道路ですので瀬戸内海ルートと日本海ルートを結び、北陸・東海とのハブでもありました。

下長遺跡は伊勢遺跡のための物資の集散、交易の拠点として使われていたようです。その後、大和王権がスタートし伊勢遺跡が終焉するとともに、下長遺跡はますます栄えますので、物流拠点のハブとして大いに機能したようです。

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