守山城

守山城

守山駅近くにある守山城。といっても住宅街やお寺の中に埋もれてしまい遺構は残っていません。ただ、まっすぐに流れてもよい水路が奇妙に湾曲しており堀跡のようです。この湾曲した中に城がありました。

築城したのは宇野氏で、承久の乱の恩賞で関津(瀬田川を遡ったところ)の地を幕府から与えられます。本拠は関津城で守山城は支城の一つだったようです。その後は佐々木六角氏の種村氏が城主になりましたが、信長が足利義昭を奉じて上洛する時に木下藤吉郎、池田恒興が攻め寄せ落城させました。守山城は中山道・守山宿をおさえる拠点でしたので修築して稲葉一鉄(頑固一徹の語源になった武将)を守将とします。近くにあった一向宗の金森御坊を牽制する位置でもありました。

■宇野首相のお墓
昭和の中頃まで土塁跡や堀跡が残っていたそうですが、今はほとんどが大光寺境内になっています。ちなみに大光寺には女性スキャンダル問題で短命政権に終わった宇野首相のお墓があります。すぐ近くの町家・うの家が生家で、江戸時代は守山宿の町年寄の家柄でしたから先祖は鎌倉時代の宇野氏につながっているかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です