
亀岡駅からサンガスタジアムを横目に進んでいくと保津川下りの乗船場があり、橋の下を乗客を乗せた船がくぐっていきます。さらに山へ登っていくと京都へ向ける明智越と呼ばれる山道があり、この山道を守る位置にあるのが保津城です。いつできた城かは分かりませんが、南北朝時代の観応3(1352)年に保津城を攻め落とした文章があり、それ以前に城があったようです。
光秀の頃には村上紀伊入道が保津の領主だったようで、柿を送ってもらった光秀からの礼状が残っています。保津城には三段になった郭や堀切、土塁が残っています。ちょっと高くなった櫓台跡もありました。広い郭は館城になっていたようです。藪もありますが比較的整備されていて案内板もありました。