
峯城近くに「天武天皇 河曲頓宮跡」があり、行ってきました。古城と同様に八島川に面する高台にあり現在は一心寺があります。
壬申の乱で大海人皇子が吉野から桑名へ向かう途中、川曲の坂下(かわわのさかもと)で日が暮れてしまい、おまけに雨が降出してきたので休む間もなく、三重の郡家に至って家一軒を焼いて暖をとったという記事が日本書紀に出てきます。場所についてはいろいろな説がありましたが、伊勢の国府政庁跡が近くで見つかり、このあたりを公道が通っていたことが確実で、ほぼ間違いないと言われています。
一心寺ですが、寺なのになぜか土塁が残っていて、どうみても城ですね。奥の方の竹藪は郭跡のようでした。峯城攻めの時に陣城として使われていたようです。