能褒野(ヤマトタケル終焉の地)

能褒野神社

日本武尊(やまとたけるのみこと)といえば古代の英雄。景行天皇の皇子で、天皇にこきつかわれ熊襲や東国征討を行いました。智謀ということになっていますが、普通に読めば、だまし討ちです。伊吹山の荒ぶる神の討伐に向かいましたが、返り討ちにあい病身に。

大和へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなります。亡くなる前によんだのが「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」という歌です。能褒野陵の前方公演の隣に能褒野神社が造られました。

能褒野に葬られると白鳥に姿を変え大和の方向へ、日本書紀では御所(奈良)と羽曳野(大阪)に降り立ち、それぞれ白鳥陵が造られました。古事記は大阪だけです。景行天皇の都は纏向地域にあったのに、なんで大阪なんでしょうね。羽曳野からさらに鳳に降り立って大鳥大社ができたと社伝には伝えられています。

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