
稲八妻城(いなやつまじょう)
京都の南側・相楽山城で起こったのが山城国一揆です。発端は応仁の乱で1470年以降に相楽地域の武士も東西両軍に分かれて争うことになりますが、やがて厭戦気分が高まり、1477(文明17)年に久世、綴喜、相楽の3郡の国衆が集まり、一揆を起こします。一揆といっても江戸時代の農民一揆ではなく共和国の設立です。
最終的にはうまくいかず、国衆ら数百人が稲屋妻城に籠城し、激しく抵抗しました。稲屋妻城については2つの説があり、その一つである政ケ谷城には先日、登ったのですが、もう一つの説では政ケ谷城の北側にある城山です。
麓に武内宿禰をまつった武内神社があり、神社の裏側から登山道が続いています。ずっと上まで登ると土橋や郭がありましたが、浄水場が山の上に造られており、ここにあった郭は破壊されたようです。途中に展望があり精華町の町を見下ろすことができます。