
幕末の動乱期、天誅組など各地で小競り合いが起きましたが、隠岐でもあったんですね。隠岐は天領でしたが、松江藩が実効支配をしていました。隠岐にも外国船があらわれ上陸するようなことが発生します。ロシア軍艦のよる対馬占領事件も起きる時代だったので騒然としていたのでしょう。
慶応4年(1868年)に隠岐島民が隠岐島民が松江藩の郡代を追放し、80日間にわたる自治を行ったのが隠岐騒動です。騒動を起こしたのが私塾・膺懲館で学んでいた若者です。隠岐出身で中沼了三という人物がいて、この中沼了三が京都で作った塾で学んだ若者が隠岐に戻って作った塾でした。騒動は鎮圧されましたが明治新政府になったことから島民、松江藩ともども処分を受けました。
津では藤堂監物による監物騒動もあり、各地でこんな騒ぎが起きていたのですね。