
741(天平13)年、聖武天皇が詔を出し、全国に国分寺が造られます。この国分寺の総本山が東大寺になります。
コロナ禍のように天平時代にも疫病が発生し、天然痘で藤原四兄弟がなくなります。正倉院文書に残された正税帳で推定したところ総人口の25~34%、100~150万人ほどが亡くなる、すさまじい疫病でした。ウイルスなどの知識がなかったため聖武天皇が考えたのが仏教の力で日本全国を覆うバリアを作ろうという発想です。隠岐(島後)にも国分寺が造られ金堂跡が発掘されています。
■後醍醐天皇の行在所?
御醍醐天皇が隠岐に流されましたが、黒木御所ではなくこの国分寺に流されたという説があります。ただ島前の知夫里島が本土との玄関口でしたので西ノ島の黒木御所説も捨てがたいですね。