中ツ道をゆく(5) 天満神社

天満神社

中ツ道を歩いていると太田市町(おだいちちょう )という市か町かどっちやねんという土地に天満神社があります。小さな村の神社という風情で誰もお参りする人はいません。そら天満神社なんて全国にたくさんありますからね。少し気になって調べてみたら、ひょっとするとすごい神社かもしれません。

■目原坐高御魂神社の可能性
今は天満神社ですが目原坐高御魂神社(めはらにますたかみむすびじんじゃ)ではないかという説があります。これを論社といいます。論社とは「延喜式神名帳(927年)」に記載された由緒ある神社を式内社といいますが、比定するには複数候補がある神社のことです。式内社の記録によると多氏と関係する氏族が造ったのが目原坐高御魂神社で、多坐彌志理都比古神社(多神社)の別宮となっています。江戸時代には目原坐高御魂神社がどこにあったかは分からなくなりました。

鳥居の前には「勧請縄」が掛けられています。勧請縄とは道切りの一種で、本来は集落の境界などで災厄や疫病などを防ぐために掛けられたものです。奈良の田舎に行くと、よく見ます。

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