金吾とは朝倉宗滴のこと。朝倉宗滴は3代にわたって朝倉氏当主を参謀格としてよく補佐し、各地を転戦し朝倉氏の武名を高めました。最後は実質的に当主の役割でもありました。朝倉宗滴の雑談をまとめたものが「朝倉宗滴話記」で、合戦,治政,修身などについての戦国武将の処世観を今に伝えています。「家柄でなく、その者の能力によって人材を登用せよ」という言葉が残っています。
大永5年(1525年)朝倉宗滴は浅井氏と六角氏との調停のため小谷城へ入り、一角に金吾丸を造って5ケ月にわたって在陣します。浅井亮政をよく助け、これ以降、朝倉・浅井家は固い絆で結ばれることになり、最終的に信長を裏切ることになります。金吾丸は城域に入る手前に造られていて小谷城の主郭を目指すハイカーなどは誰も立ち寄りません(笑)。
朝倉宗滴は茶器・九十九髪茄子を持っていたこともあり、松永久秀に伝わり織田信長に臣従した時に献上しています。