虎御前山城から見ると横山城に向かい斜めの道が通っています。これが信長が造った軍用道跡。
信長公記に
「武者の出入りのため、道のひろさ三間間中に高々とつかせられ、其のへりに敵の方に高さ一丈に五十町の間、築地をつかせ、水を関入れ、往還たやすき様に仰せつけらる」とあります。道幅を約6.4mに広げて、約5.5㎞に渡って敵側には高さ約3mの築地を築かせ、さらに水堀にしていました。
軍用道を使い横山城から物資や兵を虎御前山城に小谷城側に気づかれないよう移動できました。信長は物流重視で道をよく整備し、兵をすぐ動かせるようにしていました。それにしても、すごい土木量ですね。