大河ドラマ「晴天を衝け」、あれよあれよという間に鳥羽伏見の戦いが終わり函館・五稜郭の戦いまで進んでしまいました。カッコよく土方歳三が出てましたねえ。
鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜は大坂城でもう一戦するチャンスがありましたが、部下をみすてて逃亡。大阪湾の制海権を幕府の軍艦が握っていたのですが、どうもイギリス側から局外中立を守らないかもしれないと脅しをうけていた模様で内戦となりフランスとイギリスの代理戦争になることを怖れた説があります。自分がいなくなった時にまつりあげられそうな松平容保(会津藩藩主)、松平定敬(桑名藩藩主)も連れていきます。
幕末の京都で幕府の政権を担当した一会桑の面々ですので、逃亡するにしても慶喜は用意周到です。主戦派の松平定敬は留守中に桑名藩の家老連中が恭順に決定したため、函館戦争にまで参加しています。最後の新選組に桑名藩藩士が多いのは藩主についていった主戦派の連中が参加したからです。
■残念塚
主がいなくなった大坂城では、逃げるしかなく兵士も船などに乗って江戸に向かいますが、潔しといない面々が残り城に火を放ち、次々と自刃していきました。新政府軍は焼け焦げた建物の中から遺体を回収し、武士の鑑と称賛し埋葬します。これが大阪で「残念塚」と呼ばれる城中焼亡埋骨墳で大阪城公園のはずれにあります。
■150年前、とてもヤバい国だった
カブールからガニ大統領がさっさと逃げ出し首都が陥落したニュースを見てサイゴン陥落を思い出した人も多いと思いますが、鳥羽伏見の戦いみたいだなと思っていました。今から150年ほど前の日本はとてもヤバい国で、「攘夷」と叫んで丸腰の商人や婦人が惨殺され、大使館が焼き討ちされるなどテロが日常茶飯事でした。あまりに危ない国なので多国籍軍を組織して砲撃したりしています。