木津川のほとりにあるのが水主城(御厨子城)。現在の法念寺近辺にあり、あたりには北垣内、西垣内、南垣内という地名が残っています。北垣内あたりでは昔の小字が「シロノ内」と言っていました。地名以外は何も残っていません。
枇杷庄城から徒歩10分ぐらいです。畠山の家督争いの舞台で文明15年、畠山政長方であった水主城が畠山義就方の斎藤彦次郎によって攻め落とされています。水主という地名は、全国にあり「水主衆(水夫)が集住する町」に由来します。木津川で物資を運ぶ港が近くにあったのでしょう。古代から水主直(みぬしのあたい)という豪族がいたので最初に水主城を造ったのかもしれません。