大和藤尾城

下狭川城の馬場から細い山道があり「藤尾城まで2.2km」と看板があり、進んでいくと奈良柳生カントリーの北東へ出ます。溜池があって、ここの反対側にあるのが藤尾城。登る道はどこにもないので、切岸を直登することになります。下狭川の馬場から歩きましたが、この山道が阪原・大柳生を結ぶ往時の街道でした。ちょうど街道を見下ろす尾根に連郭式に曲輪を配置しています。

大和藤尾城
大和藤尾城

藤尾城が見つかったのは最近の話で平成3(2001)年、城山などの地名を頼りに城山の存在が確認されました。奈良柳生カントリー建設の時に保存運動が起こったそうで城の遺構が残ることになりました。ゴルフ場建設で消された山城も多い中、これは英断ですね。もっとも藪だらけの城跡です。それでも進んでいくと連郭式で郭と郭の間には深さ3mほどあるV字型堀切があり楽しめます。近江にある歓喜寺城によく似ていますね。

狭川氏の親戚である吉村氏が造った城と伝わっていますが、詳しいことは分かりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です