達磨寺

片岡というのは古い地名で聖徳太子の片岡飢人伝説が伝わっています。聖徳太子が片岡山にさしかかると、飢えと寒さで息も絶え絶えの人が倒れていました。太子は持参していた弁当と飲み物を与え、紫の衣を脱ぎ、着せかけました。翌日、亡くなったことを聞き、墓を建てさせます。数日して太子が「あの飢人は、きっと聖人にちがいない」と言い出したので、念のため墓を開いたところ、遺骸はなく、紫の衣だけが、丁寧に畳まれて柩の上に置かれていました。

達磨
達磨

■達磨寺の創建
飢人は達磨大師の化身だったという伝説です。この墓の上に鎌倉時代、建てられたのが達磨寺の発端になります。境内には、達磨大使が座っていた石が残っていて、ここで太子と問答したそうです。ほんまかいなあ。大体、キリストの昇天みたいですがな。日本書紀や古事記を編纂していた時代、中国に景教(キリスト教)が伝来していたので、この影響があったのでしょう。大体、馬屋の前で生まれましたしね。

伝説も多いので日本史の教科書から聖徳太子をなくす話が話題になっていましたが、今は厩戸王(聖徳太子)という表記になっています。大陸外交に力をいれていたため大和で最初に使節を迎える斑鳩に宮を建てることになります。

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