東大阪市政だよりの表紙が司馬遼太郎でした。
東大阪市の広報紙で、今年は司馬遼太郎生誕100年(大正12年生まれ)なんですね。司馬遼太郎記念館の上村洋行館長のインタビュー記事が載っていました。館長は、みどり夫人の弟で当時は小学六年生で、よく司馬遼太郎が実家に遊びにきていたそうです。
司馬遼太郎が、みどり夫人と結婚したのが1959年で下小阪に引越してきたのが1964年です。当時は布施市でした。3年後の1967年に布施・河内・枚岡の3市が合併して東大阪市となります。当時の家が現在の司馬遼太郎記念館になっています。
司馬遼太郎は東大阪市の名誉市民になっていますが、住んでいた河内小阪といえば東大阪の西のはずれで、ちょっと行ったら大阪市生野区です。東大阪商工会議所も西のはずれの河内永和にあるし、東大阪市役所も荒本という、これまた西のはずれにあって東の枚岡は無視されていますね(笑)。それだけ布施市が中心だったということでしょう。