東高野街道をゆく
国府跡から北上する時、直面するのが大和川です。現在の東高野街道は大和川にかかる橋になっていて、橋のたもとに大和川付け替えの碑がありますが、草むらに埋もれていました。大和川が付け替えられたのは宝永元年(1704)年ですので300年ちょっと前になります。洪水対策で古代から付け替えの挑戦が続いています。有名なのが和気清麻呂の付け替えですが結局、失敗しました。近鉄・河堀口駅(こぼれぐちえき)や大坂の陣の舞台となった茶臼山の河底池に工事の名残があります。和気清麻呂の掘った後は大坂夏の陣の頃まで残っていたようで堀代わりに使われたようです。
江戸時代となり中甚兵衛の尽力により付け替えが実現しました。近鉄・吉田駅近くに中甚兵衛の銅像があります。江戸以前は大和川がたくさんの川に分岐して北上していましたので、東高野街道はもう少し東側で川を渡っていたはずです。とりあえず現在の東高野街道を渡り近鉄・安堂駅から帰ってきました。