岡山にある家康本陣の近くを中山道が通り、赤坂宿がありました。関ヶ原の戦いが終わった慶長10年(1605)に赤坂宿の高台に築かれたのが、お茶屋屋敷です。この年は家康と秀忠が上洛し、家康から秀忠へ征夷大将軍が引き継がれた年です。将軍職を世襲し豊臣方に政権を渡さないという意思表示したと、よく映画やドラマで描かれますが、秀吉は関白(公家の頂点)になっているので秀頼が関白職を継げば問題ないと考えていた説もあります。
■屋敷ではなく城
さて、お茶屋屋敷は家康が造った上洛用の宿泊施設です。屋敷という名前がついていますが完璧に城です。四方を土塁と堀で囲み、隅には櫓がありました。今は土塁と堀しか遺構がありませんが、中には岐阜城の麓にあった信長の居館などを移築して使っていました。お茶屋屋敷は家康は秀忠が使っていましたが、将軍が上洛する機会が減り、維持費が大変なことから建物などを取り壊されました。
街道筋にいくつかこういったお茶屋屋敷が造られ、近江・野洲に永原御殿跡がありますが、ここも完璧な城でした。