高野城(甲賀)
昔から城跡があると伝わっており、小規模な土塁を持つだけの単純な城館遺跡とみられいました。北側に続く丘陵上で第二名神の建設が行われることになり、発掘調査が実施されました。すると平坦面が4つと、10カ所の堀状の凹地が確認されます。この結果から、東西250m、南北230m以上にわたり広い城域があったようです。
1570(元亀元)年前後には、織田信長が甲賀に侵攻しており対応するために、いろいろと工夫をしたようです。案内板があるところから山の中に分け入ると、すぐに城域です。一番最初の郭から登っていくと主郭にはいれ、周囲を土塁が巡っています。一部、分厚くなっているところがあり櫓台があったのでしょう。