細川ガラシャの墓(崇禅寺)

細川ガラシャの墓

崇禅寺にある足利義教の首塚は疑問がありますが、その隣に細川ガラシャのお墓があります。

■細川ガラシャ
明智光秀の娘で「麒麟がくる」では芦田愛菜が演じていました。細川忠興に嫁ぎますが、秀吉が明智光秀を討つと、謀反人の娘を嫁にしているのはまずいので通常は離縁なんですが、細川忠興は、どうも惚れ込んでいたようで遠隔地に隠したりしています。秀吉が死に、関ヶ原合戦前に石田三成方が細川家の屋敷に押しかけ人質にとろうとします。細川ガラシャはキリシタンで自死ができませんので、自らを家臣に殺害させて、屋敷に火をつけ亡くなります。この影響で他の屋敷から人質をとる動きが弱まります。細川屋敷方は大阪城のすぐ南にあり、今は越中井という屋敷にあった井戸が残っています。

宣教師が遺骨を集め、細川家菩提寺である崇禅寺に納めたとされています。有名な辞世の句が「散りぬべき時 知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」です。

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