西国街道をゆく(今城塚古墳)

今城塚古墳

嶋上郡家を過ぎて西国街道を歩いていく今城塚古墳のすぐ横に出ます。古墳に行くには摂津富田駅からかなり歩く必要がありますが、当時はメイン街道の横にあり、よく見えるランドマークだったのでしょう。今城塚古墳は継体天皇陵というのが定説で、宮内庁が別の古墳を継体天皇陵にしているので古墳に登るのも自由です。つまり会いに行ける天皇陵です。

古墳には崩れた土塁や堀のようなところがあり、1568年(永禄11年)に織田信長が三好家を攻める際に城砦として改変したと考えられ、今城という名前になっています。発掘調査によると秀吉が建設中の伏見城が倒壊した伏見大地震による地滑りだったようです。ただ火縄銃の弾丸も見つかっており城砦として使われたのも確かなようです。

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