神武天皇は吉備高島宮から船で大阪湾に入り、大阪平野は梅でしたので生駒山の麓の港である日下に到着。ここから生駒山を超えて大和に入ろうとしましたが、大和を治めていた長髄彦が立ちふさがり戦いとなります。
長髄彦の本陣が生駒市白庭台の住宅地にあります。近鉄けいはんな線の白庭台駅からちょっと行った矢田丘陵の北の先にあり生駒山を超えてきた敵を高台から迎え撃てます。もっとも生駒山に前線をおいていました。長髄彦は登美能那賀須泥毘古と記載され頭に登美(とみ)がついています。現在も登美ヶ丘や富雄駅の名前が残っているので、このあたりに本拠地があったようです。