日下の直越道の尾根道沿いに五瀬命負傷碑があります。最初、気づかずに通り過ぎてしまいました。五瀬命は神武天皇のお兄さんで交戦中に長髄彦の放った矢に当たってしまいました。五瀬命は「我々は日の神の御子だから、日に向かって戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして戦おう」と助言します。って、大坂から大和へ攻め込む前に分かってたでしょうに、よう分かりません。
神武天皇は草香津(くさつ)まで退き、盾をたてて雄叫びしました。草香津は盾津と呼ばれるようになります。草香津から船出して紀州へ向かいます。ところが五瀬命は傷が悪化し紀伊国の男之水門で亡くなりました。和歌山市の竈山神社に墓があります。神武天皇は紀州をまわって熊野から八咫烏を道案内に大和へ攻め込みます。