西三河で研修の仕事だったので、ついでに上之郷城へ。あくまでも仕事です。上之郷城はよく整備され、城跡からは三河湾が見渡せました。
上之郷城は鵜殿氏の城で鵜殿という名前から分かる通り、本貫は三重と和歌山の県境にある鵜殿です。やがて蒲郡一帯をおさめるようになり、鵜殿長照が上之郷城・城主でしたが今川義元の妹の子で義元の甥にあたり親戚でした。桶狭間の戦いの時は大高城を守っていましたが信長が鷲津砦、丸根砦を築き、大高城を封鎖したため、兵糧をいれたのが家康です。今川義元が討たれた後、家康は独立しますが、鵜殿長照は今川川に留まります。
■甲賀忍者が上之郷城をおとす
永禄5年(1562年)、家康は上ノ郷城を攻めますが、なかなか落ちません。そこで甲賀衆が城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入り、鵜殿長照は討死にし、長照の子が捕らえられます。大河ドラマ「どうする家康」にも服部半蔵らが活躍するシーンが描かれていました。
家康は駿府にいた正室の瀬名姫と嫡男の竹千代、長女の亀姫らとの人質交渉を行い、今川氏真にとって、親族であった鵜殿兄弟を見捨てられず交渉は成立し双方の人質が交換されます。