観音芝廃寺

観音芝廃寺

馬堀駅から少し行くと高台になっていて見晴というところがあります。地名の通り見晴がいいですね。今は住宅街になっていますが奈良時代の山陰道のすぐそばでした。一角にあるのが観音芝廃寺跡です。発掘調査され金堂や講堂跡がみつかり礎石などが復元されています。できたのが7世紀後半なので壬申の乱の頃ですね。300年ほど続きましたが平安時代には廃寺になったようです。秦氏が関わっていたのではと言われています。

■保津川開削
秦氏というと秦河勝が有名で聖徳太子の国造りを助け、広隆寺を創建します。秦氏は土地開発が得意なデベロッパーで、桓武天皇の平安京増設などに貢献します。嵐山にある大堰川の堰(葛野大堰)の原型は秦氏が作ったものです。嵐山までの保津川を開削し船運を整備したのも秦氏と言われています。丹波側の拠点として観音芝寺を作ったのでしょう。

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