
天理から飛鳥まで運河が作られました。作ったのは斉明天皇が狂心渠(たぶれごころのみぞ)と酷評されました。天理にある豊田山から石を船で飛鳥まで運んだことが分かっています。
中世になり、この豊田山に造られたのが豊田城です。城主は興福寺衆徒の豊田氏です。筒井氏に属していた永禄11年(1568年)に松永久秀の攻められて豊田城は落城し、その後は松永氏の城となりました。大河ドラマ「麒麟がくる」でも筒井順慶と松永久秀が大和の覇権をめぐってバチバチやってましたね。
石上神宮から奈良方面に山辺の道を歩いていくと途中で豊田城へ行く道標があります。ここから山道に入っていきますが、そんな酔狂なハイキング客は誰もいません。また豊田城は藪が多いので夏はおすすめできません。城に入ると7つほどの郭と土塁、空堀が残っていますが、この空堀が二重になっていて規模も大きく見事です。縄張り図を見ると城から少し離れたところに長大な空堀が2つあるようですが、藪が多く断念しました。