下ツ道をゆく(7) 今里問屋場

寺川

鏡作神社から下ツ道を北上すると寺川を渡ります。寺川がこのあたりから西に向かうことになりますが古代はさらに北上し布留川から豊田山(天理)と結んでいたのでしょう。

古代の下ツ道は中世に中街道となっていました。古代は上ツ道、中ツ道、下ツ道があり、上ツ道は中世は上街道と呼ばれます。中ツ道は使われず、古代の下ツ道が中街道になります。下街道は中街道の西側で古代の道には沿っていません。

このあたりにあったのが今里問屋場という川港です。中世の物流の基本は船運ですので大和川を川船で運び、そこから寺川に入って今里で陸揚げしていました。田原本の荷物が今里問屋場に集められて大いに栄えましたが、鉄道による輸送になり寂れていきます。

ここから東にちょっと行ったところに有名な唐古・鍵遺跡があります。

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