中ツ道をゆく(3)

中ツ道

藤原京から平城京に向かって3本の官道がありました。下ツ道、中ツ道、上ツ道で、ほぼ4里(2kmちょっと)の等間隔で南北に並行しています。壬申の乱ではこの3つの道で戦いがありましたので、その頃には道はできていました。

壬申の乱に勝った天武天皇の遺志を継いで持統天皇が藤原京を造りましたので、飛鳥と斑鳩を結ぶ筋違道ができた聖徳太子の時代には3つの官道があった可能性があります。下ツ道は中街道として使われていたので道跡はよく残っていますが、中ツ道はぶつ切り状態で、まっすぐの道はなく迂回につぐ迂回です。中ツ道は香久山を迂回して飛鳥の橘寺を結んでいたので橘街道とも呼ばれていました。

天理で発掘調査したところ幅23メートルの大路でした。平安後期ぐらいまでは使われていたようです。

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