
辰市城から北上し、平城京の南限である九条を超えていくと大安寺があります。ちょうど本堂で神楽を演奏しながら舞が行われていました。
大安寺といえば普照(ふしょう)ですね。井上靖の「天平の甍」に苦難の道が描かれています。
許可なく出家する私度僧が多く、唐から戒律は伝わっていましたが不完全なものでした。そこで聖武天皇は唐から優れた僧を招くことにします。命をうけたのが大安寺僧だった普照と栄叡で養老5年(733年)に派遣される遣唐使に加わります。唐に滞在して10年目に鑑真と出会い、日本への渡航を要請します。快諾をえますが、そこからが大変で、日本への渡航が5回も失敗し鑑真は失明してしまいます。また749年には苦楽をともにした栄叡が唐で病死してしまいました。
6度目にしてようやく渡航が成功し、天平勝宝6年(754年)平城京に鑑真が到着します。普照が唐に渡って20年が経っていました。鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、聖武天皇などに戒を授けます。やがて唐招提寺が建立されます。