近鉄・高安駅から山の方へ向かっていくと教興寺という地名があります。
ここは戦国時代、畿内での最大の会戦である「教興寺の戦い」(1562年)が行われた舞台で、三好長慶と畠山高政が激突。勝利した三好長慶が河内国、和泉国、大和国、紀伊国を掌握して天下人となることができました。次に天下人となったのが信長ですが、信長は三好長慶のやり方をよく学んで自分の施策にいかしています。
高安駅の近隣案内で「教興寺」があるというのは知っていたのですが、今日初めて出かけてみました。外環状線まで出ると、「教興寺」という案内が出ています。ここらいったいが「教興寺」と呼ばれる土地で、ずっと山へ向かっていくと大きなお寺の屋根が見えてきました。あれかなと思ったら、天理教の教会でした。天理教を過ぎたところに小さな山門を見つけ、そこに「教興寺」と書かれていました。
聖徳太子が物部守屋との戦いを祈願するために建立したという四天王寺のような謂れがある寺で、「教興寺の戦い」で焼失した後、再建されましたがそれにしても小さな寺ですね。寺には池があって「湯川直光公勇戦の地」という碑が建っています。
誰だ?湯川 直光ってと調べたら畠山側で戦った紀伊国亀山城の城主ですね。雑賀衆と共に戦ったいましたが、この地で戦死したそうです。
最近、歴女が流行っていますが、さすがにこんなマイナーな戦国武将は範囲外でしょうね。高安あたりは、すぐ近くには楠木正成の右腕として戦った恩智左近の恩智城跡もあり、物部守屋が蘇我&聖徳太子と戦った場所もすぐ近くで、昔からずっと戦の場所になった土地なんですね。