開田城跡から勝龍寺城へ

nagaoka201101.jpg午前中は長岡京市でお仕事。名前の通り、平安京の前に作られた長岡京のあったところです。安倍晴明の陰陽師では早良親王の怨霊の舞台となったところです。さすがに長岡京の痕跡は残っていません。

昼過ぎに終わったので阪急長岡天神駅近くの商店街を歩いていたら、バス停のすぐ近くにちょっと変わった公園がありました。公園といってもポケット公園でイスが置いてあるのですが名前が開田城跡公園!

開田城(かいでんじょう)!以前に「京都 乙訓‥西岡の戦国時代と物集女城」という本を読んだのですが、その本で紹介されていた城です。こんな商
店街のど真ん中にあったんだあ!遺構は土塁の一部だけが残っています。後で調べたら敷地跡に建つマンションの1階に開田城の復元模型があるそうで、今度
行ったら見てこよう!

阪急長岡天神駅から少し歩くとJR長岡京駅で、駅前にはムラタ本社があります。ここから少し歩くと勝龍寺城があります。信長の時代は細川藤孝が拠
点としており、ガラシャ夫人が輿入れした城で、11月には長岡京ガラシャ祭が行われるということで城の周りにはノボリが立っていました。

山崎の合戦では明智光秀の拠点となった城で、すぐそばが天王山です。敗れた光秀は勝龍寺城に戻り、夜陰に乗じて城を出て坂本城に向かったのですが途中の山科で殺されてしまいました。

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