河内国若江郡(現在の東大阪市)にあったのが若江城。残念ながら碑しか残っていません。
織田信長に京から追放された15代将軍足利義昭が送り届けられたのが若江城。信長の命を受け羽柴秀吉が警固しながら三好義継が守る若江城に足利義昭を送り届けます。足利義昭は、ここから毛利の鞆へと落ちていきます。この後、織田信長が佐久間信盛に若江城攻略を命じ、若江城は織田信長の城となります。若江城は信長の大坂での拠点で、石山本願寺との戦いでは最前線基地でした。
明智光秀らが守っていた天王寺砦が石山本願寺に攻められて、もうじき落城しそうと言われた時に信長は若江城で軍勢が揃うのを待っていましたが、時間がないため、わずかな手勢を引きつれて若江城から出陣し、本願寺勢を強襲して天王寺砦を助け出します。石山本願寺との和睦が成立した後、必要がなくなり若江城は壊されてしまいます。もともとは河内守護となった畠山基国の守護所から出発した城で200年にわたり使われました。
大坂夏の陣では、若江城あたりで八尾・若江の戦いが行われ、若き木村重成が討死します。