高麗(こま)寺跡

高麗寺
狛城があった上狛環濠集落から少し離れたところに高麗(こま)寺跡があります。木津川(泉河)を見下ろす高台にあります。
この高麗寺は、飛鳥時代に創建された最古の寺院跡の一つで、日本書紀、日本霊異記などの文献にも登場します。金堂が西、塔が東に建ち、周りを回廊により囲まれた法起寺式伽藍配置になっていました。近年、白鳳時代(680年頃)に築かれた築地塀が出土しています。高麗寺跡へ行くと、ちょうど史跡公園として整備しており塔跡などは工事中でした。
高麗寺は高句麗からの渡来氏族・狛(高麗)氏の氏寺でした。狛氏は南北朝の戦い、応仁の乱を生き抜き、山城国一揆によって惣国と呼ばれる一種の共和国ができた時の有力国人の一人でした。やがて南山城は織田信長、秀吉の天下統一に巻き込まれていきます。
■高句麗からたくさんの亡命者
狛氏の出自である高句麗というと韓国ドラマによく登場する国ですね。百済、新羅、倭が登場する好太王碑でも有名です。唐との戦いで高句麗が滅亡した時は王族をはじめとするたくさんの亡命者が来日しました。
現在の難民を受け入れるヨーロッパのような状況で武蔵国には高麗郡が設置され、狛江市など全国に高句麗に関係する地名が残っています。高句麗だけでなく武蔵国には新羅郡、摂津国には百済郡などもできました。

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