奈良市中心部から南東にある古市の里にあるのが古市城です。
城主は荘園の下司だった古市氏で、力をつけ大和で勢力を競った五大国人(筒井、十市、箸尾、越智、古市)の一人となります。当時の記録には古市城で連歌会や茶会が開催され古市は文化の中心でもありました。
古市胤栄は村田珠光の高弟でもあり小笠原家茶道古流の祖ともなります。千利休から始まる表千家、裏千家、武者小路千家が有名ですが、茶湯の開山と称される村田珠光から続くのが小笠原家茶道古流で、当主は平成の時代まで古市氏でした。
また風呂釜が壊れたので修繕費用を捻出するため、当時の大和で禁止されていた風流踊が踊れる小屋をつくり、入場料として6文をとりました。今でいうクウド・ファンディングですねえ。小屋は大盛況で、3千人もの人々が集まり日本初の有料ダンスホールと言われました。アイデアマンだったようです。
古市城は台地西端に作られており高台から奈良市街を見渡せます。東市小学校が本丸推定地になっていますが本丸の遺構は残っていません。また城の下が環濠集落になっていて城下町が形成されていたようです。
これで大和の五大国人が居城にしていた筒井城、十一平城、箸尾城、越智城、古市城をすべて制覇できました。