中大兄皇子&中臣鎌足が起こした蘇我入鹿暗殺事件。昔は大化の改新と習いましたが、今は乙巳の変と呼ばれています。乙巳とは丙午(ひのえうま)と同様に干支の組み合わせのことで645年を指します。
法興寺(現在の飛鳥寺)で蹴鞠があった時、中大兄皇子の靴が脱げ、それを拾って差し出したのが中臣鎌足。これが縁となって2人はクーデタに邁進していきます。密談を行ったのが飛鳥の東側にある多武峰という山々です。
中臣鎌足が亡くなってから、長男の定慧和尚が留学中の唐より帰国し父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。これが談山神社(たんざんじんじゃ)となります。入山料は一人600円で社殿には多武峯縁起絵巻が表示されています。教科書で有名な蘇我入鹿の首が飛ぶシーンを久しぶりに見ました。