大坂の陣のきっかけになった一つが方広寺の梵鐘に刻まれた文字。
秀吉が建立した方広寺は慶長伏見地震で倒壊してしまい、秀頼が再建しました。新たに梵鐘が鋳造されましたが、問題となったのは鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」という文字。写真の白く囲まれた文字です。この文について家康は「家康の名を引き裂き、豊臣家を讃えるもの」だといちゃもんをつけます。これが有名な方広寺鐘銘事件です。最近ではいちゃもんではなく、武士の名前を分けるのは無神経という説も出ています。
文を書いたのは禅僧文英清韓で南禅寺の長老でした。糾弾されて蟄居することになります。大阪冬の陣が終わった後、清韓と鐘を製作した鋳物師辻家を高虎の領地である津に迎えて保護したという後日談があります。2人のお墓は津の上宮寺にあります。