琵琶湖から唯一流れ出るのが瀬田川で、この瀬田川にかかるのが瀬田の唐橋です。京都人と言い争いになった滋賀人の決め台詞が「琵琶湖の水、止めたろか」という一言。以前に瀬田川を止めたシミュレーションが行われ、結果、大津などが水没してしまいました(笑)。
瀬田川を超えると京都まで一気に攻め込めますので、古代からこの瀬田川が攻防戦の舞台となりました。壬申の乱では、大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となり、瀬田川を突破された大友皇子は自刃することになります。
藤原仲麻呂の乱では朝廷軍が先回りし、瀬田の唐橋を焼いてしまったため藤原仲麻呂(恵美押勝)は湖西を北上することになり三尾城で破れてしまいます。
本能寺の変の後、安土城に向かう明智光秀を足止めするために山岡景隆が瀬田の唐橋と川のほとりにあった瀬田城を焼いてしまったため明智光秀が仮橋を架けるのに3日を要しました。