菟道稚郎子って誰?

こっちは全然、目的地ではなかった菟道稚郎子の墓。太閤堤のすぐ横にあったので寄ってきました。

菟道稚郎子
菟道稚郎子

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)とよみます。菟道(うじ)というのは古い地名で平安時代ぐらいに宇治になったようです。近くに莵道高校がありますが、こっちは「とどう」と呼んでいます。

■菟道稚郎子って誰?
菟道稚郎子って、全然知らなかったのですが、応神天皇の息子で仁徳天皇の異母弟なんだそうです。応神天皇が亡くなった時、日本書紀によると皇位を譲り合って自殺したと伝えられています。ほんまかいな~あ。大体、応神天皇といえば筑紫で神功皇后から生まれ、神功皇后と共に反乱を起こした大和へ攻め上ってくる神武天皇の東征のようなことをやった人物です。

とにかく菟道稚郎子は宇治にあった桐原日桁宮に住んでいたそうで、これが宇治上神社または宇治神社ではないかと言われています。念のために宇治上神社の祭神を調べると菟道稚郎子、応神天皇、仁徳天皇で関係者ばかりです。

亡くなった後、日本書紀は遺骸を「莵道の山の上に葬りまつる」とされていて、そのまま読めば山頂の古墳のはずですが、宮内庁は宇治川のほとりを比定しています。ほんまかいな~あ。

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