「仏教 伝来 ご参拝」で覚えた538年。仏教公伝の年で、552年説もあります。百済の聖明王が倭の国に使者を使わし、仏像や経典などを欽明天皇に伝えました。難波津に着いた聖明王の使者が大和川を船で上り海柘榴市に上陸したということで三輪山の麓に仏教公伝の碑が建っています。
物部氏・中臣氏などの神道派は仏教の受容に否定的で、かたや蘇我氏は受け入れ派となり、崇仏・廃仏論争が起きます。これが発展していって蘇我馬子・聖徳太子連合軍が物部守屋を滅ぼします。というのが通説でしたが、どうもマユツバモノのようです。
物部守屋の本拠地は河内の渋川で、今の八尾市ですが氏寺である渋川廃寺が見つかっており、崇仏・廃仏論争よりも権力闘争&外交の進め方での対立だったようです。