丹後の守護代だったのが内藤氏。八木城の麓にあるのが屋敷群で削平地がたくさん残っていて現地の説明には屋敷群とありました。守護代屋敷は山の上にあったようです。
■守護代
室町幕府では守護は都に在住することが基本でしたので、領国の経営は守護代にまかせていました。現地を握っている守護代の力が強くなり戦国時代には越後の長尾氏(上杉謙信)、越前の朝倉氏や出雲の尼子氏などが守護代から戦国大名になりました。織田信長は守護代の家来からスタートしています。
戦国時代の内藤氏は三好長慶と組んでおり、松永久秀とともに波多野を攻めますが。逆に攻められて八木城は落城。城主が討死してしまいます。この時、松永久秀の弟長頼が残兵をまとめて八木城を奪回。三好長慶から丹波を預けられることになり内藤氏の名跡を継ぎ内藤宗勝と称します。