
いつもはバラバラで開催している交流会(弐火会。産水会、いちもくさん)の合同交流会。3つの交流会から1人づつが発表。トップバッターは産水会の江口さんによるお茶の話です。
しっかり和服を着て力が入っているなと思ったら、この後にホテルでお茶の講師をしないといけないそうです。
投稿者: mizutani
校正おそるべし

「校閲ガール」というドラマをテレビでやっていたようで、先日、隣の食事をしていた女性2人がドラマの話をしていて、”校閲って仕事があるんだねえ”と言うのを聞いて、思わずズッコケそうになりました。
さて、バグ本では校正を6回(ゲラでも校正したので正確には7回)やりましたが、誤字や表現の訂正だけではなく、原稿に書いた固有名詞、数値などが、あっているのかを調べて確認するのが校閲作業です。けっこうやったのですが、アマゾンレビューを見ると指摘がありました。
・PC-8001のN-BASICにはCIRCLE命令はありませんでした
・初代IBM PCはハードディスクを搭載していないので、C: ではなく A:でしょうか
ここらへんは思い込んで書いているので、漏れてしまいました。それにしても実によく読み込んでレビューしてくれる方がいるんですねえ。とってもありがたいです。
→ アマゾン「バグは本当に虫だった」
スーパーのビールが高い

スーパーでモルツやエビスをよく買っているのですが最近、特売を見かけなくなりました。
”街の酒屋さんを守る国会議員の会”なるものがあって、去年5月に議員立法「酒類の製造や販売に関する取引基準を法制化する酒税法の改正案」が成立しました。改正法の施行は今年6月からということもあり、1月あたりからビールなどの店頭価格があがっています。今後は原価割れで販売した小売店に罰則が科されることになります。またメーカーも安売りの原資となるリベートの見直しをしています。というわけでスーパーの店頭価格があがっています。
趣旨はよく分かるので、かまわないのですが、もう少しいろいろなバリエーションのビールを置いてくれないかなあ。銀河高原ビールが飲みたいな~あ!なかなかスーパーには置いていません。
ファイティング・コンサツタンツ研究会
「春の坂道」の舞台 柳生藩家老屋敷

柳生藩陣屋の近くにあるのが柳生藩家老屋敷。国家老・小山田主鈴の邸宅で江戸時代の武家屋敷がそのまま残っています。
明治まで子孫が住んでいましたが、その後、売られ、やがて手に入れたのが作家・山岡荘八。全26巻の徳川家康などで有名な作家です。ここで「春の坂道」の構想をねりました。
本が発売され、1971年にはNHKの大河ドラマとなりました。柳生但馬守宗矩(中村錦之助)、柳生十兵衛(原田芳雄)、柳生石舟斎(芥川比呂志)、徳川家康(山村聡)という俳優陣でした。柳生でロケが行われた写真の展示がありました。
知り合いの鎌田さん情報によれば、大河ドラマ「春の坂道」は唯一1話も映像がNHKに残っていない大河ドラマで、たまたま視聴者が録画していた最終回がDVDとして発売されたそうです。
面陳列のバグ本(丸善四日市店)
柳生陣屋跡

柳生但馬守、柳生十兵衛といえば徳川将軍の剣道指南役で、柳生新陰流で有名です。
”新”という名前がついているので、もともとは陰流がありました。伊勢の五ヶ所浦出身の愛洲移香斎が編み出した流派です。柳生石舟斎(但馬守)が戦国時代の人を殺す剣法ではなく、人を活かす活人剣として発展させ、また無刀取りでも有名となりました。
柳生石舟斎は筒井氏に敗れ、柳生城などが落城し筒井順慶に従うことになりますが、やがて筒井を追い出して大和を支配した松永久秀の配下となります。ところが勢力を盛り返していた筒井純慶と松永久秀が辰市城でぶつかり松永久秀は敗退します。この時、柳生は久秀側で戦います。のちに筒井とは和睦しますが柳生の里に逼塞することになります。逼塞している時に新陰流の祖、上泉伊勢守秀綱と出あい新陰流の奥意を極めることになります。自身も鍛錬していた家康との縁ができ、将軍指南役になっていきます。
柳生城のすぐ近くの丘の上にできたのが柳生陣屋。柳生石舟斎の子である柳生宗矩が築きました。ここが柳生藩の政庁となります。横は川が流れ、高台にあり城にはもってこいの立地でした。
三州屋(神田)
2月にRedBall(All Aboutのガイドの集まり)で東京へ行った時、飲んだのが神田にある三州屋というお店。玉子焼きを頼んだら出汁巻ではなく、甘くて、しっとりとした寿司屋さんに出てくるような玉子焼きが出てきたお店です。
一緒に飲んだのはパソコン通信Nifty-ServeにあったFchiken(知的生産の技術)フォーラム時代の知り合いで、参加者の浜田 信郎さんが居酒屋礼賛に、その時の様子をアップされています。
細かいところまでよく観察されていますね。パソコン通信時代は風早人というハンドル名で一緒にFchikenのフォーラムスタッフをしておりました。
→ なんといっても鳥豆腐 … 大衆割烹「三州屋(さんしゅうや)」(神田)
→ 京急もつ煮ライン (3/3) … やきとり「鳥佳(とりよし)」(上大岡)
柳生古城

柳生城から北側に少し歩いたところに古城山があります。城山という名前の通りに、こちらにも山城がありました。バス停の背後から剣塚に向かう山道を歩くと城跡にたどりつけます。剣塚があるところが主郭となっています。
柳生古城もいつできたのか分かりません。ひょっとすると柳生城と同じ時期に造ったのかもしれません。奈良から月ヶ瀬に抜ける街道を柳生城と挟撃する形になっています。
柳生城と違い、藪もなく整備されているので堀切などがよく分かります。手前の堀切はL字型になっていて食違虎口のようになっているのが特徴です。ただ北側は二重堀切で防御を固めていますが、ちょっと北へ行くと直ぐに山頂になっていて、なんでここに郭をつくらなかったのかが不思議です。北側の笠置方面からの攻撃はあまり想定していなかったようです。
柳生城

今日は原稿書きの予備日だったんですが、思ったより早く原稿があがったので、奈良からバスに乗って柳生へ出かけてきました。
柳生氏の菩提寺である芳徳禅寺の東南の丘にあるのが柳生城。
ただ案内も何もないので登る道が分かりません。とりあえず坂を登っていくと堀切と曲輪の一つを発見。主となる曲輪は8メートルほど上がったところのようです。仕方ないので切岸、つまり崖を直登します。けっこう広い曲輪がありました。登った反対側に虎口があり、そこからだと直登しなくても、よかったのですが後の祭りです。
芳徳禅寺の前に石舟斎塁城跡の碑があります。柳生石舟斎とは柳生宗厳のことです。高台にある芳徳禅寺も曲輪の一つだったようです。
城が造られたのはいつか分かりませんが、天文13年(1544年)に筒井氏の大軍に攻められ、落城したとあるので、それ以前に城はあったのでしょう。柳生家巌・宗巌父子は筒井氏に降ることになります。

