関西で本を創るということ、本を読者に届けるということ

内山正之
昨晩は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催。講師は有限会社西日本出版社社長 内山正之さんで、昔、独立され少したった頃に「僕が出版社を始めたわけ」というタイトルでセミナーをしてもらっています。当時は「大阪たこ焼33カ所めぐり」を発刊された頃でした。
出版を取り巻く状況はどんどん厳しくなっています。2000年に21,500店あった本屋さんが2015年には13,500店と7,000店も減少。ジュンク堂などの大型書店が増え、町の本屋が減ったという要因もあるんですが、内山さんによると他にも要因があるそうで、少し前まで取次(本の卸)が流通の効率化に取り組んでいたそうです。小さな本屋がなくなれば中型店に皆が本を買いに行き効率化がすすむということで、店主に取次に預けていた保証金(普通の店舗で5千万円ほど)を返すから、これを退職金にして店を閉めたらと誘導していたようです。ところが目論見通りにはいかず、本屋さんがなくなると、その分だけ売上が減りました。誰もわざわざ中型店に本を買いに行くような行動をしません。
また自費出版ブームで自費出版本が本屋に流通するようになります。自費出版でジャンル的に多いのが紀行文と病気本。地元の本屋なら知り合いが買ってくれますが、全国では売れません。本屋では売れないと、どんどんジャンルの棚が小さくなり、このジャンルで本を出している出版社にとっては死活問題になります。最近、自費出版本はビジネス書系に流れているそうです。
「獺祭」や「くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 黒糖焼酎をつくる全25蔵の話」の本作りの裏話などをうかがいました。

9月26日はワープロの日

ワープロ
9月26日はワープロの日。
日本最初の日本語ワープロ機が1978年9月26日に発売されました。発売したのは東芝で、JW-10という名前。価格はなんと630万円もしました。正確にはその前年、1977年5月のビジネスショーでシャープが日本語ワープロ機を発表しましたが、これは参考出品でした。
その後、いろいろなメーカーからワープロが発売され、値段が下がっていきビジネスマンでも手が届くようになります。そして私が買ったのがカシオワードHW-300といワープロ。B5サイズで鞄にそのまま入り、プリンタ一体型でした。ただ表示は2行だけでしたので、これでA4の文章を作成するのは、なかなか大変でしたが、コンパクトなところがよかったですね。よく知的生産の技術研究会・関西のセミナー案内などを作っていました。
その後に買ったのがオアシスポケット3。これまたコンパクトで単3電池で動きますので海外に行った時にはアオポケに携帯モデムをつないでNifty-Serveにアクセスしていました。
パソコンのワープロを使う時代となり、ワープロ専用機はなくなっていきましたが、ポメラのヒットもあり、根強いニーズがありそうです。

主郭にある青いプラスチックの主

城
伊賀の山城などへ行くと、ほとんど藪という時があり、藪をはらいながら土塁の高まりを見つけ、郭を探します。”これが主郭かな”と迷う時に目印になるのが青いプラスチック板。これで主郭だと分かります。
先週、中日新聞・三重版「うちのレジェンド」を見ていたら、この青いプラスチックの主が出ていました。10年ほど前、「三重の中世城郭」という本を図書館で見つけて研究を始めたことから県内の山城巡りをはじめ、訪れた城跡は850を超えると言う記事です。
御年、81歳の松本薫さんという人物で登った山城には青いプラスチックの名板を掲げてきたそうです。伊賀の山城などで見つけた青いプラスチック板は、この人がつけたんですね。それにしても三重県内には850も城があるんだあ。毎日登っても2年以上かかりますなあ。

蒔田城

蒔田城
近鉄富田駅からJR、三岐鉄道の高架を超えた蒔田というところに朝明山長明寺があります。現在は浄土真宗本願寺派のお寺ですが、ここに蒔田城がありました。蒔田相模守宗勝という人物が築いたようで、現在のお寺は1651年に川越から移転してきました。中世の館跡になります。
お寺になっても城の周りの堀はそのまま残したようで、今も周囲を取り囲んでいます。西側の堀だけはなくなっていてお墓になっていました。長明寺のすぐ隣が宝性寺で少し高台になっており、ここも郭っだったかもしれません。堀をぐるっと巡りましたが、なかなか見事でした。

ジャータカ

gacco
イソップ物語や今昔物語集など各地の文学に影響を与えたのは何でしょうか?
答えはジャータカ。
じゃあジャータカって何だ、という話になりますが、ブッダの前世を説く547の物語です。無料オンライン大学講座gaccoで上智大学が提供している「アンコールワット研究」が提供され3週目を受講していますが、仏教美術でこのジャータカが出てきました。偉大なブッダを強調するに従い、現世の修行だけでなく、過去の修行や善行によって偉大なブッダになったという考え方が出るようになりました。そして生まれたのがジャータカで、もともとはガンジス河流域に伝えられた教訓的寓話だそうです。

茂福城

茂福城
茂福で「もちぶく」とよみます。
近鉄名古屋線に乗ると富田駅の手前でこんもりとした森と茂福城という文字が見えます。近鉄に乗るたびに、車窓から城の文字が見えるのでずっと気になっていたのですが、なかなか行く機会がありませんでした。先日、西坂部城へ行った後に寄ってきました。富田駅から15分ほど歩いたところにあります。
北勢四十八家の朝倉氏の居城。戦国時代には近鉄の駅で2つほどしか離れていない羽津城主と戦った茂福合戦が起きています。やがて織田信長の伊勢侵攻で滝川一益によって滅ぼされてしまいました。
城郭の北西の土塁だけが残っていて石碑が建っています。近くには富田城もありましたが、こちらは跡形がなくなっています。

西坂部城

西坂部城
四日市商工会議所でセミナーを行ってきました。午前で終わったので、そのまま四日市郊外にある西坂部城へ。
周辺は三重団地という住宅街として開発されていますが、公園として城跡が残っています。主郭にブランコが置かれているのはご愛嬌ですが、郭跡や土塁跡がしっかり残っています。地名も城山になっており、住宅街が開発されると山城は破壊されますが、公園として残っていました。
主郭からの眺めはよく四日市の街や伊勢湾が一望できます。城の歴史は古く、源平の合戦時代に造られたと言われています。平氏が源氏に敗れ西国へ逃げますが、伊勢平氏の郷である伊勢で反乱が起きます、それが「三日平氏の乱」。この時に造られたのが西坂部城と言われています。

小売業におけるSNS活用セミナー

大入道
四日市商工会議所でセミナーをしてきました。タイトルは「小売業におけるSNS活用セミナー」。本日、小売商業部会があり、部会が終わった後にセミナーをしてきました。
部会で話題に出ていたのが四日市のゆるキャラ「こにゅうどうくん」。ゆるキャラグランプリ―で15位になっており、頑張って応援しましょうという話でした。
四日市の諏訪神社では四日市祭りをしており、この時に登場するのが日本一大きいカラクリ人形である大入道。「こにゅうどうくん」はこの大入道の子供という設定です。諏訪商店街の東海道沿いに小さな大入道が置いてあります。
ちなみに現在の1位は埼玉県の「はにぽん」という埴輪のゆるキャラです。
 

真田丸

真田丸
真田丸、ご覧になっていますか。
時代考証がけっこうしっかりしていて、主人公も真田幸村ではなく真田信繁になっているし、信繁の父親である真田昌幸が武田信玄に仕えていた頃には武藤喜兵衛と名乗っていました。真田昌幸が徳川家康と初めて会う時にこの武藤喜兵衛の名前が出ていたので、思わずテレビの前で「オオッ!すごい」と思っておりました。
武田勝頼滅亡の前兆となった浅間山噴火や指月伏見城が慶長伏見大地震で倒壊してしまい、木幡山に造り直すところもしっかり描かれていました。
先日、真田丸のオープニングを見ていたら西股総生の名前を発見。真田丸では戦国軍事考証を担当しているそうです。西股総生氏は中世城郭の研究家で「城取りの軍事学 築城者の視点から考える戦国の城」などの著作がたくさんあります。上田合戦では鉄砲を防ぐための竹把が登場しており、なかなかリアルです。

BLAST研究会

BLAST研究会
昨日はLEC梅田で経営情報システムの講義を終えた後、堺筋本町にある大阪産業創造館へ移動。
BLAST研究会をやっていて、最後の方に間に合いました。BLAST研究会というのは2002年度に中小企業診断士の実務補習を大阪で受けた連中が中心となってスタートした研究会です。入会金もなにもない研究会で要件としては新制度の診断士だけです。
「一吹きの風」からBLASTと名づけられましたが、ウイルスの名前とそっくりですなあ。(笑)
BLAST研究会は発足以来、14年も続いており昨日で第47回目でした。研究会が終わってからは堺筋本町のSENBAR (センバール)へ移動して懇親会。ワインがおいしかった!