日本一低い山

蘇鉄山
日本一低い山と言えば大阪の海遊館の近くにある天保山が有名です。標高4.53mで国土地理院発行の地形図に掲載されています。山岳会が存在し登頂証明書も発行されています。もともとは江戸時代に航路を拡げるために安治川を浚渫した時に出た土でできた築山です。
先日、堺台場のある大浜公園へ行ったら、ここにも日本一低い山がありました。名前は蘇鉄山。標高6.97mで天保山より高いですが実は山頂に一等三角点があり、一等三角点のある山としては日本一低いそうです。天保山には二等三角点があるそうです。三角点に一等やら二等があるんですね。
堺台場と同様、天保山にも大砲が置かれ、異国船の警戒に当たっていました。さて蘇鉄山ですが5秒ほどで登頂できます。こちらも山岳会が結成されており、登山認定書を発行しているそうで国土地理院の地形図に掲載されています。

税務署から書類を出せというお達しが

税務署
東大阪税務署から書類を出せというお達しが届きました
毎年、e-Tax(電子申告)を利用して確定申告をしているのですが、一番のメリットは書類を送らなくてもよい点。例えば医療費控除する場合、病院からもらった領収書などの添付資料を送るは必要ありません。その代り一定期間、書類を保管しなければなりません。通常はこれで終わりなんですが、税務署では対象者から一定数を抽出して、保管している書類を出してというお達しが届く時があります。
確か5年ぐらい前にも税務署へ出した記憶があります。送られてきた紙には書類一覧がついていて小規模企業共済掛金の控除証明書や生命保険料の控除証明書など8つほどの書類を出すように指示がありました。返信用封筒がついているので、必要書類を封筒にいれて税務署へ返却するだけです。これでまた5年ほどはこないかなあ。

BLAST研究会に参加

BLAST研究会
いつもは日曜開催が多いのですが、珍しく土曜日に大阪産業創造館で第46回BLAST研究会を開催。中小企業診断士の研究会です。
2002年から14年も続いている研究会です。この年は中小企業診断士試験が大きく変わった年で、昔は工業、商業、情報の3部門制でした。1次試験は筆記で400字やら200字などしっかり書かないといけないので、ひたすら覚えなければならず大変でした。そのため1次試験に合格すると2次試験は何回受けてもOKという永久資格でした。
私は旧制度からせっせと受験し、ようやく1次に合格したと思ったら試験制度の抜本改革が行われました。部門制がなくなり1本化し、1次試験がマークシート試験に変って科目が大幅に増え、1次試験を突破したら永久資格でしたが、新制度では2回しか受験できなくなりました。
”詐欺だ~あ!”と叫んでもダメだったので、1次試験から受け直して、なんとか新制度1発目で合格しました。ですので診断士業界では”ニュータイプ”と呼ばれています。
2002年に実務補習をしたニュータイプ・メンバーを中心に研究会を組織し、新しいメンバーが加わりながらずっと続いている研究会です。

堺台場跡

堺台場
堺に台場があったことをご存じですか。
■台場とは
台場とは大砲を備えた防塁のことで、今の大浜公園(南海本線堺駅の近く)の場所に造られ、遺構も残っています。幕末、ペリーによる黒船来航から国防が意識され日本各地で台場整備がすすみます。長州藩では関門海峡に築いた台場から異国船に向かい攘夷実行を行い、馬関戦争を引き起こしています。
台場で有名なのが”お台場”にある台場公園。近くにはフジテレビや湾岸警察署があります。台場公園は東京湾上に造られた第三台場跡で、陣屋跡や弾薬庫跡が残っています。私の郷里の津には岩田川沿いに贄崎砲台、塔世川沿いに西浦砲台が造られ、贄崎砲台の土台が一部残っています。
■大阪に異国船が来訪
黒船によるペリー来航に引き続き、 今度は大阪・天保山沖にロシア使節プチャーチンが来航しました。京都に近い大阪港に異国船が来たことから朝廷では大騒ぎになります。朝廷の要望もあり江戸幕府は大阪湾各所に台場を築きかれ西宮砲台、和田岬砲台は当時のまま残っています。
■堺台場
堺砲台が造られたのが今の大浜公園がある場所で、彦根藩によって稜堡式城郭が造られました。大浜公園の半分ほどが城郭で、大砲8門が備えられました。当時の石垣が阪神高速湾岸線大浜ICの出入口南側と公園内の菖蒲園に残っています。単なる石垣なので大浜公園で遊んでいる人はそんなものがあったとはたぶん知らないでしょうねえ。

721段を登らないとたどりつけない多喜山城

多喜山城
鈎の陣へ行ったついでに近くにある多喜山城へ行ってきました。ところが頂上にある山城まで待っていたのは山道じゃなく721段の石段!
これで357メートルの頂上を目指します。石段は、ほぼ直線で山道をえっちら登るよりかは早いですが、さすがに足にこたえます。途中には休憩所が2ケ所ほど設けられていました。なんでも”ふるさと創生事業”を使って体力作りのために作ったそうです。藪をかきわける必要がないので便利なんですが、足にきますねえ。
多喜山城は草津線の手原駅から甲賀方面へ東海道をひたすら歩いた日向山にあります。日向山古墳と墓地の横に道があり、ここを入ると721段の石段が待っています。頂上まで登ると琵琶湖や近江富士などが見え、眺めはいいですね。
頂上には枡形虎口や土塁跡などが残っていました。それほど大きな城ではありませんが、虎口には石垣が積まれており、もとともあった山城を織田信長が支配するようになってから改良したようです。

戦国時代がはじまった鈎の陣

鈎の陣
”応仁の乱”の発端は銀閣寺を造営した足利義政の後継者問題。
奥さんの日野富子との間に子供がいなかったので、弟でお坊さんになっていた足利義視を後継者に任命してさっさと引退、銀閣寺などを造営します。ところが日野富子との間に息子(足利義尚)が生まれてしまいます。
■応仁の乱が勃発
我が子を次期将軍にしたいという日野富子の思いから全国の守護や管領などが両派に分かれて応仁の乱が勃発してしまいます。船岡山城が戦場になったのもこの時です。将軍の権威が落ち、守護や守護代(守護の家来)が力をもつことで戦国時代に突入してしまいました。
■鈎(まがり)の陣
結局は足利義尚が第9代将軍となりますが、応仁の乱後の幕府運営はなかなか大変。近江守護・六角氏が将軍近臣の所領を押領するなどしていたため、足利義尚自身が六角氏討伐に乗り出します。この時、現在の栗東市に陣を構え六角氏に対峙しました。地名から”鈎(まがり)の陣”と呼ばれます。
ところが六角氏に味方した甲賀衆が山間部でゲリラ戦を展開し戦闘は膠着状態に陥ります。実はこれが忍び(忍者)が全国に知られるきっかけとなり、伊賀、甲賀といえば忍者の里と言われるようになります。足利義尚は鈎の陣中で死んでしまい、六角討伐は中断となってしまいます。
さて鈎の陣ですが、今の永正寺あたりで土塁などが残っています。草津線で草津駅から一駅目の手原駅に着く手前で右手に見えます。ここから戦国時代がはじまったんですねえ。

北の玄武 船岡山城

船岡山城
都を造る時に重要だったのが四神相応で、都を守る四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)がある土地に都を造る必要がありました。平安京にも四神相応があり、四神のうち北の玄武は朱雀大路の真北にある船岡山と言われています。
北京にある紫禁城の真北には景山公園(人口の山)があり、紫禁城を一望できます。平安京があった頃、船岡山に登ると同じように一望できたでしょうね。現在でも京都タワーなど京の街がしっかりと見えます。
船岡山は応仁の乱では、山城になっていました。西軍側の備前国守護・山名教之や丹後国守護・一色義直らが船岡山に築城し、東軍と戦います。それ以来、船岡山一帯を西軍の陣、”西陣”と呼ぶようになります。京都市内で山といえば船岡山ぐらいしかないので城が造られたのでしょう。
船岡山には、堀などの城跡が現在でも残っています。だいぶ埋もれてしまったので単なる窪地になっていますが、跡をたどることができます。曲輪跡は公園や織田信長を祀る建勲神社になっています。

教え子のお姉さんがいた

京都橘大学
先週に引き続きWOC認定看護師講座の情報処理講座で京都橘大学へ。
今年度から学生機はデスクトップではなくノートパソコンに全台変わっています。京都橘大学で情報処理講座を1994年から担当しておりますが、一番最初はフロッピー時代のノートパソコンでした。ワープロソフトが確か一太郎で表計算がロータスという時代です。(笑)
さて講座が終わってから受講生の看護師さんが来られて
「○○って名前、覚えていますか?」
「それって専門学校時代に教えていた学生の名前じゃあ。」
「実は妹なんです。」
「エーッ」
卒業してからだいぶ経過しましたので妹さんも40歳前になっているそうです。いやあ、懐かしいなあ。こちらも歳をとるはずです。

船場総研 総会

ナレッジキャピタル
今は昔、Nifty-Serveというパソコン通信があり、そのなかには資格フォーラムがありました。いろいろな会議室があり、その一つがが中小企業診断士の勉強部屋。私もよく参加し、勉強しておりました。
オンライン以外に大阪ではオフラインの勉強会があり、それが船場勉強会。今も続いています。このOB組織が船場総研で、まもなく20周年を迎えます。もともとは合格したのに船場勉強会へ参加してヤイヤイ議論して、受験生の邪魔になるからとできた組織のようです(笑)。
ゆるい会なので誰かが言いださないと何も始まりません。総会をやっていないことが判明し、本日、梅田ナレッジキャピタルにあるナレッジサロンで開催。いつもの船場総研には似合わない、おしゃれな会場です。近況報告と今年度の計画作りでワイン農場へ行こうという魅力的な案が決定しました。終わってからは茶屋町に移動して飲み会。

大阪中小企業診断士会 総会

大阪中小企業診断士会
京橋のOBP(大阪ビジネスパーク)にあるホテルニューオオタニ大阪で大阪中小企業診断士会の総会。
大阪は大阪府中小企業診断協会とは別に独立診断士で組織した大阪中小企業診断士会がありコンサルティングファームを目指しています。会員は193名もの大所帯になっています。三重県中小企業診断協会よりも多いですね。
役員改選もあり長年、勤められた福田理事長から池田理事長へと交代になりました。料理はコース料理になっていて、なかなかおいしかったですね。食べて飲んで帰ってきました。それにしても連日ですなあ(笑)。