花見(大川)

花見
毎年、恒例でやっているファイティング・コンサルタンツ(中小企業診断士の集まり)の花見。と言いながら天気や日程があわないなどで3年ぶりぐらいでした。
昨日は天気もよいし絶好の花見日和なので人が多いだろうと天満橋のスタバ前に例年より早く10:30に集合。食料品やお酒を買い出しに京阪シティモールの食料品売り場へ行くと花見客でごったがえしていました。
桜並木が続く大川沿いに繰り出して、造幣局の近くで夕方までずっと飲んでおりました。

新たな鳥獣戯画図と文字が発見される

鳥獣戯画図
京都・栂尾の高山寺に伝わる国宝・鳥獣戯画図。鳥獣戯画図は甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻から構成されていますが、京都文化財研究所が調査を行ったところ、新たに「壬(みずのえ)の巻」が発見されました。調査した三好長慶教授によると高山寺近くにある名刹・狸山寺の住職が蔵の虫干しをしていた時に長櫃を見つけたことが発端。長櫃には巻物が入っており、今まで見たことがない鳥獣戯画図という住職からの連絡で緊急調査したところ今回の発見につながりました。

■鳥獣戯画図・壬の巻
新しく発見された”壬の巻”には国宝・鳥獣戯画図と同様にカエルとウサギが描かれ、特徴的なのは真ん中でカエルがひっくりかえっている点です。右にはウサギとカエルが水のようなものが入った甕を運んでいる様が描かれています。三好長慶教授によると国宝・鳥獣戯画図が描かれたのは平安時代末期から鎌倉時代初期であり、この図は台頭する武士階級を甕で象徴し、そのあおりで没落する貴族を、ひっくりかえったカエルで表現しているのではと解説しています。

■文字も発見される
さらにX線で調査をしたところ巻物には文字が書かれていることが判明し、解読したところ仮名で「さけのみしみずたにのきみ」と書かれていました。意味について現在も研究がすすんでいますが、松永久秀准教授によると書かれている文字は「酒飲みし 水谷の君」ではないかと推測しています。最下層の貴族である侍品(さむらいほん)に”水谷朝臣”の名前があり、水谷朝臣は記録によれば伊勢平氏一族ですが、台頭する河内源氏に対し憤懣やるかたなく、酒で憂さ晴らしをしている図ではないか、つまり真ん中で酒を飲んでひっくり返っているのが”水谷の君”、右で運んでいるのは酒甕ではないかと推測しています。

”壬の巻”が見つかったことで、甲・乙・丙・丁以外の戊・己・庚・辛・癸の巻があるのではないかと関係者の間では期待が高まっています。

ひょうご産業活性化センター 経営相談アドバイザー終了

サンパル
2013年4月から「ひょうご産業活性化センター」で3年間、経営相談アドバイザー(木曜 IT担当)を担当しましたが、本日で退任です。兵庫県の事業者の皆さまお世話になりました。
相談内容は他の支援機関とそう異なるものはありませんが、なかにはフランス料理店の開業相談もあり、さすがはオシャレな神戸です。社歴が20年ぐらいあると、どうしても阪神・淡路大震災がらみの話題になることも多く、震災で工場や店がなくなって再起したというような話も伺いました。
「ひょうご産業活性化センター」はサンパル6階にあり、隣がダイエー(今はイオン)で、7階にジュンク堂・三宮駅前店が入っています。ワンフロア全てがジュンク堂で、歴史関係など本がなかなか充実していてランチの後は常にジュンク堂に行っておりました。便利でしたねえ。ただ「ひょうご産業活性化センター」もモザイクの方へ移転する話があり、そうなると最寄りの本屋は大垣書店になります。
大阪府よろず支援拠点が入っているマイドーム大阪周辺にはランチを食べられるお店やコーヒー店は多いのですが近くに本屋がないのが玉にきずです。

1400年前に起きた乙巳の変 入鹿神社

入鹿神社

大和八木駅近くにあるのが小網町と曽我町、蘇我氏の本拠地です。
最近の研究では蘇我氏は葛城氏の一族で、曽我地域を拠点にしていたことから蘇我氏と名乗りました。乙巳の変(622年)のクーデターによって蘇我本家が滅びましたが、蘇我氏そのものは名前を変えて生き残り、有名なのが石川氏です。
蘇我一族
川辺臣氏-十市郡川辺郷
田中臣氏-高市郡田中宮
小治田臣氏-高市郡小墾田宮
桜井臣氏-高市郡桜井豊浦宮、河内郡桜井郷、石川郡桜井宮
岸田臣氏-山辺郡岸田村
高向臣氏-錦部郡高向村
小網町には入鹿神社があり、”全国にここだけ、蘇我入鹿公をまつる神社”という幟がはためいています。伝説では乙巳の変で入鹿の首がここまで飛んできて祀ったのがきっかけで頭痛に霊験があるそうです。
小網町の住人は筋金入りで守ってきたようで、明治時代に入り、皇国史観が中心となった時代に入鹿を祀るのはどうかと政府に言われ、祭神をスサノオに、神社の名前を小網神社に変更しろと言われましたが、拒否したそうです。また明日香村小原は中臣鎌足の母の出身地ですので絶対に縁組しないなどの伝説が残っています。

耳成山から藤原京へ

藤原京
耳成山へ登った後、せっかく大和八木まで来たので少し南にある藤原京跡へ行ってきました。
以前まで藤原京は大和三山に囲まれたエリアに作られたと考えられていましたが発掘調査の結果、めちゃくちゃ大きく、平安京や平城京よりも大きかったことが判明しています。北には玄武大路、南には朱雀大路が整備されていました。北をつかさどる玄武は耳成山です。
藤原京は飛鳥から694年に持統天皇が遷都しました。といっても平城京跡と一緒で、何も残っていません。大極殿の土壇が少し高くなって残っているのと、発掘調査したところの柱跡が再現されているだけです。あとは野球をやったり、運動場になっています。
日本書紀は新益京という名前でした。ここらあたりは藤原という土地名で、飛鳥京と同様に藤原京というのは学術用語です。藤原鎌足はこのあたりの出身のようで中臣から藤原に名前を変えました。

大和三山に山城があった

耳成山
大阪から三重へ行く時に、よく大和八木駅で乗換しています。大和八木駅の横に見えるのが耳成山。大和三山の1つです。
先日、6,480円の大枚を払って買ってきた「近畿の城郭3」を読んでいたら、天神山城という山城が出てきました。場所をよく見ると耳成山頂上!耳成山に山城があったんだあ!
■天神山城へ
ということで雨が降る前の午前中に大和八木まで出かけてきました。耳成山の頂上近くに耳成山口神社があり、かっては天神社と呼ばれ、耳成山も天神山と呼ばれていたそうです。それで天神山城なんですなあ。この神社の裏手が城跡です。
明治天皇が陸軍の演習見学で頂上へ登った時に少し改変していますが、割と城跡が残っていました。郭もたくさんあり、帯郭もあって、けっこう大きな城です。
城を造ったのは赤澤朝経(ともつね)という人物で室町幕府方。大和の国人と戦っており、越智氏、十市氏、箸尾氏が多武峰の城塞群に立てこもっており、赤澤朝経は山城を本陣にして連日、合戦にむかっていたと記録に残っているそうです。香具山にも城跡があるそうなんで、これは行かねば!

マイナンバーカードの受取

マイナンバーカード
荒本にある東大阪市役所へ行ってマイナンバーカードを受け取ってきました。
東大阪は平日以外では第4土曜だけやっていますので1ケ月前に事前予約しておきました。市役所の横にマイナンバーの特設窓口ができていて、同じ時間帯の受付は12名ほど。今日の午前中の予約は70名ほどのようです。
平日は午前・午後もやっていますので100名ほどでしょうか。1週間で500名、1ケ月で2500名ほど。東大阪市の人口は51万人ですからマイナンバーカードを受け取っている人は、まだ少数のようです。
昨年、500円を払って住基カードの電子証明書を延長したんですが、電子申告はマイナンバーカードでできるので住基カードは返納してきました。もったいない。
マイナンバーカードの電子証明書を登録してきましたが、住基カードのように公開鍵暗号方式によるキージェネレーションをやっていることが分かるような画面も何も出ずに終わってしまいました。そら、一般の人が見ても戸惑うだけですからね。

北斗七星になる将門の首塚

将門の首塚
箱根駅伝の像がある読売新聞本社前と江戸城との間にあるのが「将門の首塚」。
討ち取られた平将門の首が京都でさらされ、怨念で大手町のこの地まで飛んできたそうです。塚を取り壊そうとした大蔵省では、急死するものが相次ぎなど怨念めいた話も残っています。
きわめつけは敷地にあった長期信用銀行が倒産したのも、将門の怨念と言われていますが、さすがにね~え。阪神が優勝できないのはカーネルサンダースの呪いのせいとよく似ています。

家康の腹心だった天海は将門の怨霊の力を使って江戸の守護神にしようとしたとのことで、将門を祀るところが都内に7つあります。それが首塚、神田明神、築土神社、兜神社、鳥越神社、水稲荷神社、鎧神社。この7つを結ぶと北斗七星の形になるそうです。

研修で忘れてない?! ソーシャルエンジニアリングのこと

ジョーシス
「ジョーシス」にソーシャルエンジニアリングの記事が掲載されました。
ソーシャルエンジニアリングというのは人間の心理的な隙や行動のミスにつけ込んで情報を盗み出すようなことをいいます。今回のはUSBメモリーにまつわる話。イランの核施設へのウイルス攻撃もこのソーシャルエンジアリングを使った古典的な方法で行われたようです。
皆さんも古典的な方法にひっからないようにお気を付けください。
→ ジョーシス「研修で忘れてない?! ソーシャルエンジニアリングのこと