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本日は三重県勤労者福祉会館で三重県中小企業診断協会主催の理論更新研修。中小企業診断士の更新要件の一つで年1回受講します。
研修は2本立てで
・新しい中小企業政策について 中部経済産業局中小企業課 山田 昌子課長補佐
・経営改善の具体的手法 井上経営コンサルタント事務所 井上 俊一所長
中部経済産業局の山田さんは中小企業課の前は情報政策課で、中部IT経営力大賞やIT経営応援隊の会議などでよくお会いしていた方。久しぶりにお顔を拝見。
井上先生のお話は経営改善の進め方についてですが、半分はバランススコアカードなどITコーディネータの手法の話で、いい復習になりました。
ウチの事務所(水谷IT支援事務所)は今年4月に経営革新等支援機関の認定を受けましたが、この経営革新等支援機関の話がありました。7月10日時点で13,459機関が全国で認定を受けています。中部地域は1,435機関。
やはり税理士が多く全国では8,714(中部は1007).中小企業診断士は少なくって237(中部は7)。中部は特に少ないですね。ウチの事務所は近畿掲載産業局管轄です。ただ各都道府県の中小企業診断協会も経営革新等認定支援機関の申請をするようですので47増えそうです。
投稿者: mizutani
Googleもガレージからスタート
Googleもアップルと同様、ガレージからスタートしました
■Google
Google創業の地はカリフォルニア州メンロパークにあったガレージ。実際に借りていたのは5ヶ月間という短い間でした。最初は大学の寮で活動していましたがガレージに電話回線を引きサービスイン、Googleがスタートしました。住宅と一体となったガレージで家賃も高く、月1,700ドルもしました。Google創業の地ということでGoogleは後にこのガレージを購入。今や地元の観光名所になっています。
■Yahoo!はトレーラーハウス
ヤフーはガレージではなくトレーラーハウスからスタートしました。スタンフォード大学博士課程に在籍中のジェリー・ヤンと友人のデビッド・ファイロが趣味で始めたのがYahoo!の原型となるホームページ検索サービス。
二人は大学にあったトレーラーハウスにこもり「ジェリーのWWWガイド」というサイトを作り始めます。ホームページのアドレスを単純に並べるのではなく分野ごとに整理し、リンクで飛ぶことができました。これが使いやすいと口コミで評判になり人気サイトになっていき、現在のヤフーとなります。
■マイクロソフト社はオフィスからスタート
マイクロソフト社の場合、Altair8800用のBASICを開発し、MITS社にライセンスが決まってから創業しました。取引先であるMITS社がニューメキシコ州アルバカーキにあったことからマイクロソフト社もアルバカーキに設立。
設立時に入居したのがCal-Linnと呼ばれる長屋のようなオフィスで今も残っています。アメリカの不動産広告を見るとCal-Linnのユニットの一つが72,025ドルで売りに出され、もちろん広告にはマイクロソフトが創業したところと説明が入っています。
マイクロソフト社が創業したアルバカーキで生まれたのがアマゾン創始者のジェフ・ベゾスです。
アップル社のスタートはガレージから
映画「スティーブ・ジョブズ」が11月に公開されます。
アップルのスタートはガレージでした。スティーブ・ジョブズの実家のガレージで1976年にスタート。このガレージからAPPLEⅠが生まれます。スティーブ・ジョブズは学生時代にヒューレット・パッカードでバイトをしていましたので、ベンチャーの社風を真似てガレージで創業しました。
■ガレージで創業した最初はヒューレット・パッカード社
プリンター販売では世界一のヒューレット・パッカード社。創業はガレージでした。1938年にスタンフォード大学を卒業したビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが小さなガレージを借り(家賃は月45ドル)、このガレージで初の特許製品であるオーディオ発振器を開発。
資本金はわずか538ドルでした。ヒューレット・パッカード社の最初のお客さんはウォルトディズニースタジオで、映画「ファンタジア」のサウンドシステム開発用に発振器が8台売れました。
■ヒューレット・パッカード社のガレージは史跡に
ガレージの場所はカリフォルニア州パロアルト市アディソン通367番地。もともとはパロアルトの初代市長であるスペンサー博士が建てました。2005年にはガレージと家が復元され、シリコンバレー発祥の地としてカリフォルニア州の歴史的建造物になり、2007年にはアメリカの史跡に指定されています。
デイブ・パッカードはガレージの表側にある家に夫妻で住んでいましたが、独身だったビル・ヒューレットは結婚するまでガレージに住んでいました。日本のガレージは狭く、車を入れたら終わりですがアメリカのガレージはなかなか大きいですね。
■アマゾンももガレージからスタート
アマゾンもシアトルのガレージから出発しましたが、創業者のジェフ・ベゾスによるとアマゾンが成功した時に、「アマゾンもガレージからスタートした」と言いたいがためにわざわざガレージで創業したそうです。
鉄道マニアの聖地 桑名駅近くの踏切
桑名駅のすぐそばに三岐鉄道北勢線の西桑名駅があります。この西桑名駅を過ぎて、ステーションホテル桑名のちょっと先に行ったところに人と自転車が通れる小さな踏切があります。
この何のへんてつもない踏切が鉄道マニアの聖地です。踏切の一番、東側を走っているのが三岐鉄道北勢線。ナローゲージ(762mm)という昔の軽便鉄道の線路の規格でとっても狭い幅の線路があります。今やナローゲージで現役の電車が走っているのは、この北勢線と四日市から出ている近鉄内部・八王子線しかありません。
真ん中を走っているのがJRで、JRの軌道は狭軌(1067mm)。一番西側を走っているのが近鉄で、近鉄の軌道は広軌(1435mm)で新幹線と同じです。
この桑名駅近くの踏切ではナローゲージ、狭軌、広軌の3つをいっぺんに渡れるという日本でただ一つの踏切。北勢線はこの踏切を過ぎると大きくカーブ―してJRと近鉄を橋脚でまたいでいきますので線路が3つ揃うのは、この踏切しかありません。
地元・桑名の人もなかなか知らない聖地です。
桑名商工会議所でセミナー
浜松城(出世城)
掛川城
駿府城
木木会 中小企業診断士の交流会
大阪府中小企業診断協会の木木会に参加
木木会とは大阪府中小企業診断協会に3つある診断士交流会の一つで毎月第2木曜日に開催しています。場所はマイドーム大阪7階にある大阪府中小企業診断協会のセミナールーム。今回から冷房が入っていて快適でした!
毎回2名の診断士が持ち回りで発表するんですが、トップバッターは幹事役の影山さん。FP1級&税理士&診断士というすごい方なんですが、高所恐怖症でありながらパラグライダー・パイロットの資格もお持ちです。
クレーム対応などのお話しをしていただきました。コールセンターでは、かかってくる電話に対してきっちり対応しないといけなく、瞬時に丁寧語や謙譲語が出てこなければなりません。
というわけで皆さんにあてて答えるわけですが、けっこう難しいですね。
「言う」の丁寧語はもちろん「おっしゃる」。大阪弁の「言わはる」ではダメです。
紳士は互いの信書は読まないものである
アメリカの国家安全保障局(NSA)が同盟国であるヨーロッパや日本の大使館を盗聴対象にしていたと問題に。CIAの元職員のスノーデン氏の暴露ではじまった事件ですが亡命先をめぐって情報が錯そうしているようです。
国際政治の舞台では情報をにぎった方が勝ちですので、同盟国の大使館といえども盗聴するのは当たり前で、相手もやっていますのでお互い様の面もあります。
かってアメリカでは「紳士は互いの信書は読まないものである」といってスパイ活動をやめさせた人物がいました。この時に今回と同じような暴露事件が発生しました。
■紳士は互いの信書は読まないものであると暗号局を閉鎖
第一次世界大戦時に陸軍省所轄のMI-8暗号局(通称:ブラックチェンバー)を設立し、暗号解読で活躍していたハーバート・O・ヤードレーという人物がいます。このブラックチェンバー(闇の会議所)ですが、国務省から予算を打ち切られてしまいます。
当時はフーバー大統領の時代で、国務長官のヘンリー・L・スティムソンが外交文章を盗み見るような行為は駄目とブラックチェンバーを閉鎖してしまいました。理由は「紳士は互いの信書は読まないものである」と政治の世界ではとうてい考えられないような能天気な理由です。
第一次世界大戦中、暗号解読によりアメリカに多大な貢献をしたことを評価せず、ブラックチェンバーを閉鎖したことにハーバートは憤慨。「他の国は暗号解読をやっているのにアメリカだけ止めるとは何事だ!」と執筆したのが『ブラックチェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』という本です。
本の中にはブラックチェンバーの内幕や、ドイツの隠しインクを使った暗号、美貌のスパイなど暗号の裏話が満載で、いわゆる暴露本です。具体的な暗号の解読方法も書いてありました。アメリカでは発表と同時にベストセラーになり、日本でも緊急翻訳されました。
アメリカ国民はこの本で、暗号解読秘密組織ブラックチェンバーの存在を初めて知ることになります。さすがに、こんな牧歌的な時代はすぐ終わり、第二次世界大戦が近づく中、暗号局は復活しました。今ではNSA(アメリカ国家安全保障局)などがアメリカ国家の安全を守るためという理由で世界中の通信を傍受しています。
■フィル・ジマーマンが作ったPGP
その後、国家が暗号を握ってコントロールするようになったのですが、それに反対したアメリカ人がいました。フィル・ジマーマンという人物です。彼はもともとプログラマでしたが、同時に反核反戦活動にもたずさわっていました。
ある時、反核グループがFBIの捜査を受けてパソコンが押収されてしまい、内部データがFBIの手に渡ったことから個人のプライバシーは個人で守るしかないとPGPというソフトを開発しました。
PGPはPretty Good Privacyの略で、日本語で言えば【プライバシーを守る、いかしているソフト】のようなニュアンスです。ふつうのパソコンユーザーが最先端の暗号アルゴリズムを使って暗号化できる初めてのソフトでした。ファイルを暗号化しておけばパソコンが押収されても秘密を守ることができます。また電子メールの暗号化ができますので、秘密のやり取りをする時に重宝します。まさにプライバシーを守る、いかしたソフトでした。
■世界にひろがったPGP
ジマーマンがPGPを開発したのですがアメリカでは暗号は兵器扱いとなっており、PGPももちろん輸出規制品項目です。アメリカ以外にソフトを持ち出せば重大な犯罪行為になりました。
ところがアメリカというのは面白い国で、出版の輸出入は憲法上保証されています。そこでジマーマンらはPGPのソースコードを印刷して本にしてしまい輸出してしまいました。これなら法律批判にはなりません。輸入した国では本の内容をOCRから取り込むことでコンピュータに入れることができ、PGPが世界中に拡がっていきました。
その後、アメリカ政府も輸出規制を緩和し国外でもそのまま使えるようになりました。